令和3年度に入って

令和3年度に入って初めて読んだ本は、ツルゲーネフの「はつ恋」になった。

若い時に内容を知って以来、ずっと読みたかった古典だが、ようやく実現した。

やはり初恋には痛みが伴う。それは古今東西、変わらないようだ。

「砂山の 砂に腹這ひ初恋の いたみを遠く おもひ出づる日」(石川啄木

 

これは何だろう?

常日頃から、日常生活でオヤッと思ったことはそのままにせず、

「これは何だろう?」「どう意味?」と疑問を持つこと。

そして、自分で考え、自分なりの答えを出すこと。

そして、どうしても分からない場合は、素直に分からないということ。

見栄を張らない、背伸びをしない、、等身大で生きる、素直に生きる。

すなわち中庸。

自己主張の罠

自分と対立する意見がまかり通ろうとする。

自分は反対意見を述べるが、それは受け付けられない。

その結果、不満が燻り、その後の言動に反映する。

つまり、イライラする、自己弁護をする、陰で他者を批判する、などなど…

今回は、そこまではひどくなかったが、やはり、会議後は平常心ではなかった。

語気が荒くなっているのが自分でもわかった。

ひろかねさんから教わったことが身についていないのが良く分かる。

自分の意見が正しいと思い込み、それを押し通そうとしているのだ。

もちろん、自分の意見が正しいとは思っている。ただ、それを押し付けてはいけない。

自分の主張は淡々と行い、あとは会議の流れに身を任せればよい。

自分がベストを尽くしたならば、結果がどうあれ、それを受け入れるべきなのだ。

自分のやるべきことをやったのならば、結果に拘泥するべきではない。

今回の件でよくわかったことは、自分のレベルがはっきりしたことだ。

ただ、自分のレベルをその行動の最中に気づいたことは成長と言えるかもしれない。

気づきの大きな1日であった。

 

 

世界がどうなろうとも

本日、関東を中心に緊急事態宣言が発令された。

コロナウイルスの感染者は、毎日200人から300人の割合で増えている。

ただ、自分がやることは今までと変わらない。

その時に自分がやるべきことをやる。

自分が幸せになることをする、周りとの調和を乱さない範囲で。

世界がどうなろうとも、自分の幸せは自分で作れる。

世界がどうなろうとも、自分の幸せは自分でしか作れない。