相手を見ないことには、コミュニケーションは取れない。
今まで、相手を見ずに、いかに会話という自己主張をしてきたか。
会話とは、言葉による思いの交流であるはずである。
しかし、私たちの多くは(特に私は)、一方的に相手に思いをぶつけていた。
相手の思いを受け取らずに。
相手を見れば、それぞれの者たちに、送る思い、言葉も違ってくるはずである。
相手を見る。そこから会話は始まるはずである。
まず、相手を見よう。
相手を見ないことには、コミュニケーションは取れない。
今まで、相手を見ずに、いかに会話という自己主張をしてきたか。
会話とは、言葉による思いの交流であるはずである。
しかし、私たちの多くは(特に私は)、一方的に相手に思いをぶつけていた。
相手の思いを受け取らずに。
相手を見れば、それぞれの者たちに、送る思い、言葉も違ってくるはずである。
相手を見る。そこから会話は始まるはずである。
まず、相手を見よう。
練習では、何とか出来ていたドロップショットが、
試合のとき、ラリー中にとっさに試してみたけど、
ネットに引っ掛けてしまった…。
そんな気分である。
あれだけ理論では分かったつもりであった「人の話を聞く」。
日常生活の中で、しっかりとやり通すこと。
それが当面の目標である。
相手の存在を認める。存在を温かく見守る。
太陽のように照らす。光明思想。
慈悲。そして、母性、父性。
題は内容を集約してつけなさいと、言われた。
今日は、考えつかず、全肯定になった。
これならば集約しているが…。
ちょっと安易だった。
今日分かったことは、私は人の話を聞こうと努力していることである。
そして、その忍耐に後に、自分が話す順番が回ってくると期待している。
つまり、人の話を楽しんでいない。
まるで、嫌いな仕事を我慢してやり続け、給料日を待ち望んでいるように。
今を生きていない。
人の話を楽しもう、明日こそ。
人の話をしっかりと聞く。
これを職場で実践しているが、どうしても流してしまうことがある。
無意識に条件反射で反応してしまい、後で気づいたことが数件あった。
実践あるのみ。
人の話をしっかり聞くこと。
そして、相手の話の腰を折らないこと。